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公私混同ではなく、『公私混合』のススメ
〜ワーク・ライフ・バランス的パラレル・キャリア私論〜

2012年10月10日

尼崎市顧問(元内閣府男女共同参画局政策企画調査官) 船木 成記 氏

働いている人のうち、男女とも9割以上が生活の優先を希望しているにもかかわらず、現実には男性の5割弱、女性の3割が仕事を優先しており、仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)に関する希望と現実には大きな乖離があります。※

「ワーク・ライフ・バランスの実践は難しい。」と感じていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

今回執筆していただいたのは、博報堂から内閣府男女共同参画局出向中、「カエル!ジャパン」プロジェクトを立ち上げる等の経歴を持ち、現在は尼崎市顧問として都市魅力創造に携わっておられる船木成記さんです。

仕事以外にも様々な社会活動に関わっておられる船木さん。ワーク・ライフ・バランスの実践者として、現在取り組んでいる活動やご自身の思いを綴っていただきました。

※東京都生活文化局「男女平等参画に関する世論調査」(平成23年)より


ワーク・ライフ・バランスを語る視点が様々ある中で、今回の私のパートでは、経営学書として著名なピーター・ドラッガーが提案した「パラレル・キャリア*1」とそれを支える重要な視点として、『公私混合』というコンセプトを提唱してみたいと思います。(文字通りの「公私を混同すること」は社会人として許されないことでありますが、この『公私【混】合』は、仕事とプライベートを『意図して混ぜる』という意味です。)

もちろん、仕事は仕事。プライベートはプライベートと切り分ける方がよいと感じている方と、出来ることならそれが重なっていて欲しいと感じる方がいると思いますが、私の場合は後者でありますので、その視点をよしとする方へのメッセージとなります。

与えられた仕事の中からも、自分なりに取り組む意義を考える

私が専門としているソーシャル・マーケティングの分野の中で重要なテーマの一つに「つながりのデザイン、関係性の回復」があります。その視点から見て、大切と思うモノや重要な事柄について、公私の区別なく、面白い!と感じることに、その都度、積極的に関わってきました。勉強会などで偶然出会ったメンバーと自然発生的にプロジェクトが始まることも多く、今思えば「プロボノ*2」的活動も多かったと思います。その時には「仕事が忙しいのに、なんでこんなこともやっているの」という声もよく耳にしましたが、自分としては「問題意識はつながっているので、きっと、仕事にもつながるはず」と考えていました。そして、何より「素直に参加したい」と感じた直感を信じていたのかもしれません(笑)。

その支えになったのは、入社5年目位に触れた「10年後の自分を今の自分が創っている」という先輩のコトバでした。ドキっとしたことを今でもよく覚えています。今の時点で、10年後の自分を創るためには、10年後に「どんな生き方をして、こんな自分でいたい」とイメージが描けていなければなりません。もちろん当時は、仕事の上では戦力になっていない時期ですから、目の前の課題や与えられた仕事を一つひとつクリアしていくことしかできていませんでしたが、短期間における成果的な視点と、10年後の自分の在り方という時間軸と成長という2つの視点、複眼的なものの見方を育ててもらいました。与えられた労働の中から、いかに自分の仕事として意味付けるチカラを育てるのかという問いだったのかもしれません。

最近、いろんな機会で一緒になる、地域づくりのインターンシップなどの受け入れ団体のリーダーの発言で、なるほどと思うことがありました。「地域づくりをやりたいと思って、地域に入って来た若者には、何も言わずにまずは、お土産販売の物産所のレジに入ってもらいます。そこで彼らが何をつかむかなんです。そこは地域で唯一の物産所ですから、ほとんどの観光客がやってきます。そこでお客さんに接しながら、彼らがこの地域に何を望んでやってくるのか。お客さんの年齢や性別、出身地域別に、購入品の特徴や違いはあるか。もしくは、こんな商品があればいいのにという気づきがあるか。ある意味、試しているところもありますが、どのようなコトにも意味があることにも気づいてもらいたいのです。その上で、地域活性化のアイディアや施策を考えてもらう」と言います。私の先輩のコトバと同様に、複眼的な視点移動の重要性、仕事に対して、なぜ取り組むのかという意味付けることの大切さを気づかせてくれている例だと思っています。

自らの学びが仕事にも生きる経験をデザインしたい

現在、個人の活動として大切にしていることの一つに、「江戸に幸福力を学ぶ会 (略して江戸幸)」という、同い年の三遊亭京楽さんの落語会のプロデュースがあります。経歴の全く違う友人達と行っているこの落語会は、足掛け8年ほどになります。毎回60名前後の熱心な方々に足を運んでいただいており、大変感謝しています。この江戸幸の中では、私は日本初のパワポ芸人?として、当日のトリの演目を中心とした解説をさせていただき、落語の舞台である江戸後期から明治のはじめの風俗や当時の常識などを、平成の世の方々にお伝えするナビゲーターのような役割をさせていただいています。きっかけは、京楽師匠からのご相談でした。「昔は人情噺を一時間、きっちり演ずることができました。自分の師匠からは、1時間分の稽古をつけていただのですが、今は、あまりに世相が違っているので、その時代背景などの説明に時間を割かなければなりません。もし、高座を1時間できたとしても、人情噺そのものを口演できるのは、せいぜい30分から40分。それ以外は、当時の説明や描写に使わなければなりません。大切な部分をはしょらなければならず、できたらその部分を、船木さんにお手伝いいただきたい」とおっしゃっていただいたことに始まります。

江戸時代は循環型社会、環境の世界のお手本のような時代と言われておりますが、本当の意味で我々が学ぶべきは、コミュニティの豊かさではないかと考えています。現在、社会的包摂、ソーシャルキャピタルの重要性が語られていますが、かつての日本には、庶民の日常の隅々にまで、そのような空気や気配に溢れていたことに、落語を学ぶと気づかされます。なんと人間的に豊かで、幸せな時代だったのだろうと。

本来はプライベートな時間である「江戸幸」プロデュースの過程で、経験したり、考えたりしたことが、現在は、仕事に直結しております。私がこの4月より勤務している尼崎市役所において、うれしい、楽しい、ありがとうのあふれるまちづくりを私のミッションと考えて仕事に取り組んでいます。具体的には、新しい公共領域や、高齢者の居場所作りや、生活保護の問題や、ソーシャルビジネスの支援など、社会的包摂をまさにテーマとしている政策立案を行っております。その時の判断や基準の一つとなるものは、まさしく、「江戸幸」での経験です。与太郎や八っつぁん、熊さん、ご隠居などの落語界のオールスターが、その政策でいいのか、その考え方に間違いはないかと、生き生きと私に語りかけてきます。もちろん「江戸幸」を始めた8年前には、今日の状況は全く想像できておりませんでした。学ばせてもらった江戸のコミュニティの豊かさを、偶然ご縁をいただいた尼崎という交流のDNAに溢れたマチで生かせることができたら、こんなに嬉しいことはありません。現在は、そのプロセスの途上ではありますが、尼崎というマチのおせっかいな所や、まさに人情に触れると、きっとよい明日が待っているのではないかという予感があります。

イラスト

今の時代に一番必要なことは、待つ勇気。そして『公私混合』

このような経験をもとに私は『公私混合』というコトバを提唱したいと思っています。もしくは、結果論的パラレル・キャリアのススメと言えるかもしれません。

ただし、その実践のためには、いくつかの条件があるようです。「きっと、このことに関わると、いずれどこかで、つながってくる」そんな感覚を持った時に「待つ勇気」が持てるかということです。過剰に期待するでもなく、きっと、今、プライベートで関わっている事柄に、仕事とどこかでつながるにちがいないと信じつつ、まずは参画してみる。その過程において、参画すること自体が、自身の変化や成長を促し、結果として得られるであろう新たな視点移動の感性や、自分の行動を別途意味付けるチカラが身につくまで、待つことができるかが問われると思います。それに加えて、上司にうまく言い出せない、時間がない、今の仕事と関係ないなどという理由で、すぐにあきらめることがないように、周囲との関係を円滑にしておくということも重要だと思います。その意味で、ワーク・ライフ・バランスを実現するための大切な要素として、コミュニケーションがあります。職場や関係する人々の間で、お互いの状況を理解し合うことが、その推進のためには最も必要だと言われているのには、納得できる理由があるのです。高度成長期を支えたサラリーマン社会の常識として、家庭の事情は職場に持ち込まずという暗黙の約束があったように思います。しかし、労働人口の減少が叫ばれ、共働き世帯が全世帯数の半数を超えて久しく、働き盛り男性層も自身の両親の介護に直面するこれからは、組織のパフォーマンスを最大化するために、これまでのルールや働き方を見直さなければなりません。それぞれの家庭や家族の事情をみんなで職場に持ち寄り、理解し合い、シェアし合う組織運営が求められる時代がもう、目の前まで来ています。

「ALWAYS三丁目の夕日」のような、昭和の香りを懐かしむ映画がヒットする時代ではありますが、今日の社会制度や日常生活の常識は、まだまだ高度成長期の残像を引きずっているように思えてなりません。社会と家庭と地域を役割分担して、効率化することにより成功体験を得た我々は、そろそろ本気で、体質転換を図らなければいけないと思います。

「生きること」と「学ぶこと」と「働くこと」を一つに捉えたい

私は、内閣府勤務期間に仕事としてワーク・ライフ・バランスというコトバに触れましたが、このコトバは、本当に意味が深く、広いと感じます。生きることそのものを指す「ライフ」と、現代人の生きることを支える「仕事」としての「ワーク」が含まれているのですから、当然かもしれません。狭義の意味での労働経済学や男女平等参画的な意味だけではなく、もっと広い視野で、ワーク・ライフ・バランスを捉える必要があると思います。「そもそも私たちはなぜ働くのか」ということに本気で向き合う必要があるのではないでしょうか。産業革命期にジョン・ラスキン(英)という人が、「労働の人間化」が必要であると説いています。産業革命期は農村から都市に人間が流入し、工場に労働者が集まりました。まさに今の時代の非正規労働のような状況を指摘してのコトバです。当時の状況は「人間の労働化」が顕著だったのでしょう。有償無償の別なく、人間の営みとして、働くとはどういうことか。江戸時代には、傍(はた)を楽(らく)にする仕事をまさしく「はたらく」というと、江戸仕草では教えてくれています。それが、いつの頃からか、労働の対価としてお金を得ることだけが「働く」こととなったのでしょうか。もともとは「はたらく」という語は、「動く」だったそうです。明治期に「働く」は造語として作られたと伝えられています。その意味では、「キャリア」というコトバもまた、問われなければなりません。職業的キャリアだけがキャリアなのでしょうか。地域活動や自治会、NPO活動など、私が言うところのソーシャル・キャリアもまた、人生のキャリア、ライフ・キャリアとして評価されるべきことなのではないでしょうか。

我々の社会は、効率化を目指すあまり、分業することに慣れすぎました。自分の人生についても分業思考であることに、そろそろ疑問を持たねばなりません。おそらく一人の人間の中で不可分であるはずの「生きること」と「学ぶこと」と「働くこと」を分けて考えすぎてはいないでしょうか。ワーク・ライフ・バランスの議論の本質は、労働時間管理や業務効率向上の視点によるスキルの部分ではなく、まさに「生きること」と「学ぶこと」と「働くこと」の関係を見つめ直すことなのだと思います。

チャート

*1 パラレル・キャリアとは、ピーター・ドラッガーがその著書「明日を支配するもの」「プロフェッショナルの条件」などで提案した生き方。長寿社会となり、一つの組織や会社に属して、同じ仕事を継続することだけではなく、並行して別の仕事や社会活動を行うことで、それぞれの新しい生き方を手に入れ、人生の質を高めて行くという考え方。

*2 プロボノとは、各分野の専門家が、職業上持っている知識・スキルや経験を活かして社会貢献するボランティア活動全般。

<プロフィール>
船木 成記 氏
(尼崎市顧問)

1989年株式会社博報堂入社後、ソーシャル・マーケティング手法によるビジネス開発業務に携わる。2007年9月より、内閣府男女共同参画局政策企画調査官、2008年からは仕事と生活の調和推進室も兼ね、ワーク・ライフ・バランス推進のための「カエル!ジャパン」キャンペーンを策定。地域における男女共同参画の推進やワーク・ライフ・バランスに関する講演も行っている。他には、環境コミュニケーション、市民参加型の地域づくり、観光分野の人材育成、長期実践型インターンシップ、NPO&ソーシャルビジネスの支援など、さまざまなパートナーシップ事業のプロデュースを手がけている。近年は地域づくりにも注力しており、 2012年4月から尼崎市顧問、高知大学客員教授。

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